《連載》私の課長時代 ロイヤルHD 黒須康宏CEO兼社長(下)
■マネジャー時代の研修で米国の飲食店を回った。そこで目にした光景が忘れられない。
マネジャーとして店舗を束ねるようになって15年ほどたった頃、米国の飲食店を見て回る研修がありました。「世界一のチェーンレストランにしよう」と夢を持ち働いていましたが、なかなかうまくいかず悩んでいた時期でもありました。
訪問した飲食店で食事をするたび「あなたはレストランの仕事が好きか」と聞いていました。どの店でも間髪入れず笑顔で「シュア(もちろん)」と返ってきます。
また、あるステーキハウスでは大学生らしき女性の従業員が食事の感想を聞きに来ました。「おいしかったけど焼きが強すぎたかな」というとぽろぽろ泣き出したのです。「日本から来てくれたのに申し訳ない」と。
水商売と呼ばれていた外食産業をビジネスとして成長させてきた自負はありましたが、米国のフードビジネスで働く人たちの姿勢には心を揺さぶられました。従業員一人ひとりがシュアと即答できる自信、泣き出した彼女のような誇りを持って仕事をできているのか、と。それができる職場にしようと強く決意しました。
■2001年に初めて店舗を離れメニュー企画の仕事に携わるようになる。
メニューの開発の課長は朝10時ごろになるとコック3人から「そろそろいいですか」と1人5品くらいの料理を出されます。デキャンタ一杯の中国茶を片手にそれを食べ、新しいメニューのひな型を作る仕事でした。夜になれば、他の飲食店のはしごです。消費者の食体験も加速度的に豊かになる飽食の時代、トレンドを追うことよりロイヤルらしい商品をどう作り上げるか。体重を増やしながら知恵を絞りました。
■メニューや他の子会社を経て経営企画を担当し、そのままロイヤルホストの立て直しにも携わった。
経営企画では、まず言葉の壁にぶつかりました。証券会社の社員と話をしてもしゃべっている単語が分からない。ノートにメモをして後々意味を調べたりと悪戦苦闘でした。そのまま既存店の前年割れが続いていたロイヤルホストの立て直しに携わり、現場で抱えてきた宿題に改めて向き合うことになります。
社長に就いてすぐの頃、店舗を回っていてある女性店長からメニューについて意見をされました。マネジャー時代にあの手この手で引き出そうとしていた現場の声が、店長自ら発せられるような組織に変わってきたと少し晴れがましい思いがしています。現場の声こそが、当社が生き残っていくための原動力になると改めて感じています。
■あのころ……
1990年代のバブル崩壊で地価が急落したのを追い風に、大手飲食各社は都心エリアにも急拡大していく。90年代後半にはデフレも本格化。低価格競争が激化した。「ガスト」「サイゼリヤ」といった低価格のファミリーレストランも急速に台頭していった。
[日本経済新聞朝刊 2020年3月24日付]
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