島根県雲南市木次町の「木次乳業」の創業者、佐藤忠吉(ちゅうきち)さんが2日、103歳で亡くなった。日本初のパスチャライズ(低温殺菌)牛乳を売り出しただけでなく、農薬と化学肥料による「近代農業」に疑問を投げかけ、「食の安全」を追求し続けた。
酪農を始めたのは1953年。だが、乳牛に病気が出るようになった。当時は化学肥料や農薬を使うのが「近代農業」だとされ、牧草が汚染されていた。えさを汚染のない山野草中心に切り替え、農薬の購入中止を酪農仲間にも呼びかけた。72年には「木次有機農業研究会」「木次緑と健康を育てる会」を設立した。
当時、牛乳の殺菌は120度を超える高温を数秒間保つのが常識だった。だが、加熱によるたんぱく質などの変化を最小限に抑えた低温殺菌牛乳が欧州にあることを知り、75年、研究を始めた。従来より50度前後低い温度で長時間殺菌処理すれば、生乳に含まれるたんぱく質やビタミンを壊さないことが分かった。できた牛乳はさっぱりとした風味でほんのりと甘く、臭みがない。78年に京都の消費者団体向けに初めて販売。その後、販路は共同購入グループを中心に全国に広がった。
佐藤さんは、「『食の安全』…
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