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Monday, October 17, 2022

牛乳は1.5倍、ガス代は2倍に――ドイツ人の生活を蝕む過去71年間で最悪のインフレ:熊谷徹 | 記事 | 新潮社 Foresight - 新潮社 フォーサイト

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ロシアのウクライナ侵攻の影響で、ドイツで初めて自動車燃料のリッター価格が2ユーロを超えた (2022年3月8日、ミュンヘン市内で筆者が撮影)

9月のドイツのインフレ率は10%と、1951年以来最悪の数値に達した。ショルツ政権は今年12月の家庭・中小企業のガス料金を全額負担する施策を打つが、極右政党の支持率が上昇、来年の景気後退も避けられない見通しだ。

 先日ミュンヘンのスーパーマーケット、レーヴェの牛乳売り場に行って、驚いた。1リットル入りの牛乳の値段が1.68ユーロ(235円・1ユーロ=140円換算)になっていた。周りを見回すと、全ての牛乳の値段が1ユーロ(140円)を超えている。ウクライナ戦争が始まる前には、1ユーロ出せばつり銭が返って来る牛乳があったが、今は一つもない。

 安売りスーパーとして知られるアルディは、今年7月1日に1リットル入り牛乳(有機農法で作られたビオ牛乳)の値段を1.15ユーロ(161円)から一挙に1.69ユーロ(237円)に引き上げた。約47%の値上げは、異例だ。またビオ牛乳以外の牛乳の値段も、0.92ユーロ(129円)から1.09ユーロ(153円)に引き上げられた。

 牛乳値上げの主な理由は、生産者価格の上昇である。ドイツ連邦食糧農業省によると、今年7月の牛乳100キログラムの生産者価格は1年前に比べて53.7%も上昇して、55.04ユーロになった。その理由は、電気代や農家が使うトラクターのディーゼルエンジン用の軽油、肥料価格などが上昇したためである。

 また小売価格の上昇には、ガス価格の高騰も影響している。乳製品の製造には、ガスが多く消費される。ロシアが今年6月以降パイプライン「ノルドストリーム1」を通じたガスの供給量を大幅に減らし、8月31日には完全に停止したために、今年8月下旬には1メガワット時のガスの卸売価格が一時300ユーロを超えた。1年前の同じ時期に比べて7倍近い上昇率である。

 ドイツの日刊紙ターゲスシュピーゲルが公表している「インフレ・モニター」によると、今年8月のバターの価格は前年同期比で49%、食肉は19%、パンは17%、ビールは7%上昇した。同紙によると、インフレによって貨幣の購買力が激減し、2015年に2ユーロ出せば250グラムのバターを買えたが、現在では半分以下の112グラムしか買えない。

 ミュンヘンの町を歩くと、あちこちで物価上昇に気づく。ロシアのウクライナ侵攻が始まる前には、ある露店で売られている鶏の丸焼き(ハーフサイズ)の値段は5.5ユーロ(770円)だったが、今では6ユーロ(840円)出さないと買えない。露店で売られている、炭火を使ったサバの串焼きの値段も、戦争前の8ユーロ(1120円)から12.5%引き上げられて9ユーロ(1260円)になった。

 ノルトライン・ヴェストファーレン州のあるパン屋は、「インフレ対策パン」と名付けたパンを売り始めた。このパン屋を経営するミヒャエル・テンケ店長は、4.45ユーロのパンを3.95ユーロで売る。差額の50セントは、同じ町の建設会社が支払う。その代わりに、建設会社はテンケ氏のパン屋の店内に、無料で広告を出すことができる。

エネルギーのインフレ率は43.9%に

 ドイツ連邦統計庁は、9月29日に、「今年9月の消費者物価上昇率(前年同期比)は、10%に達した」と発表した。前月の上昇率(7.9%)よりも2.1ポイント高い。最も上昇率が高いのが電力、ガス、燃料などのエネルギーで、43.9%。食料品の価格も18.7%高くなった。連邦統計庁は、「ロシアのウクライナ侵攻と、パンデミック以来続いている、グローバルな物資流通の停滞がインフレの主な原因だ」と指摘している。

 ドイツの自動車用のガソリン代、ディーゼル用の軽油代は、ロシアのウクライナ侵攻が始まって以来、劇的に上昇した。ドイツ自動車連盟(ADAC)の統計によると、今年3月に1リッターのガソリン価格と軽油価格は、初めて2ユーロ(280円)を超えた。私も3月8日に自宅近くのガソリンスタンドで、1リッターの軽油が2.249ユーロという驚異的な価格が表示されているのを見た(冒頭の写真を参照)。

 ミュンヘンやシュトゥットガルトなど大都市では、家賃が高い。このため、家賃が割安な郊外に住んで、職場と自宅の間を毎日60~100キロメートル車で往復する市民が多い。彼らにとっては、燃料代の高騰は頭が痛い問題だ。ドイツ政府は燃料価格の上昇が市民に与える打撃を減らすために、今年6月1日から3カ月間エネルギー税を一時的に引き下げたが、8月31日以降この軽減措置も適用されなくなっている。次のグラフで、9月の燃料価格が上昇しているのはそのためだ。

(単位=セント/リッター、出典:ADAC)

年間のガス料金が前年比2倍強になる家庭も

 冬が近づく中、市民に最も強い不安を与えているのは、ガスと電力料金の高騰だ。ドイツ連邦系統規制庁のクラウス・ミュラー長官は今年7月、ドイツの通信社RNDとのインタビューで「将来ドイツのガス料金は、これまでの3倍になる可能性がある」と語り、人々に強い衝撃を与えた。今年の春、ドイツ南部のアウグスブルクに住む私の知人は、ガス会社から「10月1日以降、ガス代を60%引き上げる」と通告された。

 引き上げの理由は、ロシアがガス供給量を削減・停止したことで、ドイツのガス会社が不足分を補うために、スポット市場と呼ばれる短期市場で、割高のガスを買わなくてはならなくなったからだ。

 ガスの卸売価格の高騰は、ドイツのエネルギー市場全体に激震を与えている。輸入するガスの54%をロシアに依存していた大手エネルギー企業ユニパーは損失が膨らんで倒産の瀬戸際に追い込まれ、政府によって国有化された。旧東独のガス会社VNGも、同じ理由で政府支援を要請している。大半のガス小売会社が、調達費用の高騰に苦しんでいる。

 ドイツ連邦エネルギー水道事業連合会(BDEW)が9月16日に公表した統計によると、一戸建ての家に住み、年間ガス消費量が2万キロワット時(kWh)の家庭の1kWhあたりのガス料金は、2021年には平均7.06セントだったが、今年8月には117%増えて15.29セントになった。その理由は、ガス調達費用が2021年に比べて3.1倍に増えたからだ。この家庭にとって、1年間のガス料金は、1411ユーロ(19万7540円)から3057ユーロ(42万7980円)に増えることになる。

 電力料金も高騰している。欧州の電力市場では卸売市場の電力価格は、ガス価格とリンクしている。このため発電に使われるガスの卸売価格が上昇すると、電力の卸売価格も上昇する。BDEWの統計によると、今年7月の1kWhの電力価格(年間電力消費量が3500kWhの家庭)は、2021年の平均価格よりも約16%高くなった。産業用電力(年間電力消費量が16万~2000万kWh)の価格は、同じ時期に87.3%も増えている。

来年の成長率はG7で最低に

 インフレのためにドイツは深刻な経済危機に見舞われている。ドイツ連邦経済気候保護省のロベルト・ハーベック大臣は10月12日、「来年ドイツはマイナス成長に転落する」という予測を発表した。政府は今年春には、今年のGDP(国内総生産)成長率を2.2%、来年を2.5%と予測していた。だがインフレの影響で景気の冷え込みが予想されるため、今年の成長率を1.4%、来年についてはマイナス0.4%に引き下げた。

 国際通貨基金(IMF)が前日発表した世界経済見通しでも、ドイツの今年のGDP成長率(1.5%)は、ユーロ圏(3.1%)の半分以下と予想されている。欧州経済を牽引する機関車役であるべきドイツが、逆にユーロ圏の成長の足を引っ張る「劣等生」に転落した。今年、来年ともドイツの成長率は、G7(主要7カ国)で最低だ。その理由は、去年までドイツが輸入するガスの50%以上をロシアから調達するなど、ロシア依存度がG7諸国の中で最も高かったからである。インフレと景気後退のダブルパンチ、つまりスタグフレーションがこの国の足下に迫っている。

 特に悲観的なのは、Ifo研究所などドイツの主要経済研究所が9月29日に発表した合同経済予測だ。Ifo研究所などは、「万一ガス需給がさらに逼迫し、政府が緊急事態を発令して、製造業界へのガスの配給制を導入した場合、一部のメーカーは生産削減・停止に追い込まれ、2023年のGDP成長率はマイナス7.9%に落ち込む可能性がある」と発表した。これは、リーマンショック後の2009年のマイナス5.7%、2020年のコロナ・パンデミックの際のマイナス4.6%を上回る打撃だ。

(いずれも単位% 出典:IMF World Economic Outlook October 2022)

インフレへの不安が極右政党の追い風に

 電力代・ガス代の高騰で最も打撃を受けるのは、長期失業者や年金生活者など、低所得層である。ドイツ連邦統計庁の今年9月29日の発表によると、この国に住む1760万人の年金生活者の内、27.8%に相当する490万人が、毎月1000ユーロ(14万円)に満たない年金で暮らしている。つまり多くの低所得者が、ガス代と電気代の高騰によって、可処分所得がゼロになる危険に晒されている。ドイツの消費者センターの相談所や、電力・ガス会社には「電気代やガス代を払えそうにないのだが、どうしたら良いだろう」と相談する市民の数が急増している。中には、窓口や電話口で泣き出す人もいるという。ロシアのウクライナ侵攻の影響は、ドイツ市民の足下まで押し寄せてきたのだ。

 今年8月にドイツで公表された世論調査の結果は、人々のインフレに対する不安を浮き彫りにした。アレンスバッハ人口動態研究所によると、「あなたに不安を与えている、最も大きな原因は何ですか」という設問に対して、インフレを挙げた人は83%で最も高かった。2位のウクライナ戦争(80%)、3位の「世界情勢が予想できない」(73%)を上回った。

 ドイツ人は、周辺国の国民よりもインフレに対して強い不安を抱く傾向がある。その理由は、1920年代にドイツを襲ったハイパーインフレの記憶だ。当時の政府は、第一次世界大戦の戦勝国への補償金支払いや、財政赤字の穴埋めのために、大量の紙幣を印刷した。このため通貨価値が急落してハイパーインフレが起こり、人々の預金を無価値にした。人々は、食料品を買いに行く際に、大量の札束をトランクに詰め込んで行かなくてはならなかった。壁紙よりも紙幣の方が価値が低かったので、紙幣を壁紙の代わりに貼る人もいた。1923年5月には、1キロのパンの値段は474マルクだったが、11月には同じパンを買うのに56億マルクを支払わなくてはならなかった。今日ドイツ人たちは、学校での歴史の授業で、このハイパーインフレについて詳しく学ぶ。彼らは、戦間期に財産を破壊された庶民の怒りと絶望感が、後年のナチスの台頭につながったことを知っている。

 政府のインフレ対策やエネルギー政策に不満を持つ人の間では、極右政党の支持者が増えている。アレンスバッハ人口動態研究所の世論調査によると、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の支持率は、今年5月の調査では9%だったが、9月の調査では4ポイント増えて13%になった。逆にオラフ・ショルツ首相が率いる社会民主党(SPD)の支持率は同時期に24%から20%に減った。世論調査機関INSAが9月26日に公表した調査結果によると、旧東独ではAfDへの支持率は27%で、最も人気が高い政党になっている。今年10月9日に旧西独のニーダーザクセン州で行われた州議会選挙では、AfDの得票率が前回(2017年)に比べてほぼ2倍の10.9%に達した。これらの数字には、現政権の政策への市民の不満が浮き彫りになっている。

政府が12月のガス料金を全額負担、その後は料金に上限設定

 このためショルツ政権は、市民のエネルギー費用負担の高騰に歯止めをかけるための政策を断行する。10月10日に政府の諮問機関「ガス委員会」は、政府が今年12月の家庭と中小企業のガス料金を全額負担することを提言。政府はこの提言を実行する方針だ。

 さらに政府は来年3月1日から2024年4月30日まで、家庭と中小企業のガス料金と、配管で熱を供給する地域暖房 の料金に、それぞれ12セント、9.5セント(いずれも1kWhあたり)の上限を設定する。つまり市民は1kWhあたり12セントまでしか払わなくて良い。これを超える料金は、政府が負担する。また化学メーカーなど消費量が多い企業が使うガスについても、今年12月1日 から1kWhあたり7セントの上限を設定する。

 これによって、連邦系統規制庁のミュラー長官が今年7月に言った「市民のガス料金負担が3倍になる事態」は避けられる可能性が出て来た。

 今回公表された施策に政府が投じる予算は910億ユーロ(12兆7400億円)に達する。だがこの提言には、電力料金の上限設定がまだ含まれていない。電力料金の高騰に歯止めをかけ、経営難に陥るエネルギー企業を支援するための予算の総額は、2000億ユーロ(28兆円)にのぼる見通しだ。

 政府が異次元的な額の予算を投じるのは、政治家たちがエネルギー価格の高騰が民心に与える影響の大きさを意識しているからだ。彼らはしばしばエネルギー価格の高騰を「社会的な爆薬(Sozialer Sprengstoff)」と呼ぶ。この問題が所得格差を拡大して社会の分断を深め、政治的な過激主義を助長する危険があるからだ。

 ショルツ政権は多額の財政出動によってエネルギー費用の高騰にブレーキをかけ、市民が極右政党に篭絡されるのを防ぐことに成功するだろうか。インフレとの戦いは、まだ始まったばかりだ。

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