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Monday, March 22, 2021

津波で父、病で兄失い…「家族の残した店守る」岩手の牛乳販売店 - 毎日新聞 - 毎日新聞

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配達に向けて準備をする三田地智之さん=岩手県山田町で 拡大
配達に向けて準備をする三田地智之さん=岩手県山田町で

 東日本大震災で父を、店の再興半ばで兄を失った岩手県山田町の三田地智之さん(46)が、2人の残した牛乳販売店を継ぎ、守っている。父を救えなかったことや、兄と仲たがいしたままだったことへの後悔は、今も消えない。それでも「家族が古里で地道に築き上げてきた商売を絶やしたくない」と配達を続けている。【日向米華】

 震災当日、三田地さんは車で牛乳の配達中だった。地震後、自宅にいた父の岩蔵(いわぞう)さん(当時73歳)に電話を掛けたが、つながらない。どうすべきか迷っているうちに渋滞で自宅に戻れなくなり、高台に避難した。父は行方不明になり、1カ月後に身元が判明した。

 7歳上の兄、博之さんは「お母ちゃんが3年前に亡くなって、今度はお父ちゃん。まさかこんなに早く親がいなくなるとは思わなかった」と嘆いた。三田地さんは「あの時すぐに自宅に戻っていれば、父と高台に逃げられたかもしれない。でも自宅に戻る途中、自分も津波に流されていた可能性がある」と今も悩むことがあるという。

 自宅のそばにあった仕事場は、津波で流された。兄は、客や従業員の安否確認や取引先への対応に追われながら、3カ月後には仮設のプレハブ小屋で事業を再開させた。「あれほど早い再開の立役者は兄だった。頑張り過ぎていたのかもしれない」と三田地さんは振り返る。

 震災前に店を継いでいた兄は、百貨店でバイヤーをしていた経験もあり、販路の拡大などに力を入れた。一方、店を手伝う三田地さんは、古くからの客との関係性を大切にしたいとは思っていたが、商売への苦手意識があった。三田地さんが何か助言しても、兄に「余計なことはするな」と返され、一緒に生活していた仮設住宅でも、ささいなことですぐにけんかになった。

 三田地さんは震災から半年後、兄に店を任せて東京に移り住む。古里や兄から離れ、自立したかったからだ。プログラミングの専門学校に通い、ネットを使ったビジネスの始め方を学ぼうとしていた。だが1年後、兄は突然倒れ、45歳の若さでこの世を去った。

 兄が生前、「(弟を東京へ送り出すのは)まだ早かったかな」と周囲に漏らしていたことを後から知った。兄とは元々は仲が良かった。自分が小学生の頃、高校生だった兄は天体観測が趣味で、冬の夜、ベランダで毛布にくるまり一緒に星を観察した。星座を教わり、望遠鏡で月のクレーターも見せてくれた。「頼れる兄貴だった」。だからこそ、弟のことを分かってほしいと兄に頼ってしまったのかもしれない。「自分との衝突が、ストレスになっていたのではないか。忙しかった兄の気持ちをもっと理解し、そばで手伝っていれば」と悔やんだ。

 三田地さんは兄の死後、古里に戻り、家業を継ぐことを決めた。現在は、自宅があった場所に別のプレハブ小屋を建て、一人で配達や顧客管理をしている。「家族でつないできた牛乳販売を続けることが、父や兄への恩返しになる」と信じている。

 昨年、兄の年齢を超えた。「俺なりのやり方で店を守っているよ。兄貴はどう思う?」。そう問いながら、復興に歩む地域の人たちに牛乳を届ける毎日だ。

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